三田市の歴史

三田市に住みませんか?

三田の歴史

三田市は、三田城の城下町として古くから栄えてきた街でした。近くには有馬温泉もあり、戦国時代には有馬温泉を巡って激しい戦いが繰り広げられたのだそうです。その後は神戸牛の放牧場や農業地帯として豊かな自然を守りながら発展し、現在は阪神間のベッドタウンとして開発が進められているというわけです。三田市には貴重な文化財なども多く残っていて、歴史の長さを感じさせてくれます。

古代の三田

三田盆地には旧石器時代から人々が暮らしていた痕跡が残っています。2万5千円前の遺跡である広野地区の「溝口遺跡」からは、ナイフ形石器や石鏃などが発掘されています。ニュータウン開発で発見されたけやき台の有鼻遺跡や平方遺跡は、弥生時代中期の遺跡で、ここからは畿内最古の鉄剣や鉄斧などの鉄器類や竪穴式住居跡などが発掘されています。古墳時代には武庫川と青野川が合流する流域は須恵器の産地となっていたようで、本庄地区の「東仲古墳」、「沢山1号墳」など石室を持った古墳とともに須恵器の窯跡が発掘されており、「末(すえ)」という地名は今も残っています、これは三田市の北西に隣接する篠山市今田地区で生産されている立杭焼(丹波焼)の起源の一つと考えられています。また、青野川とともに青野ダムを形成する黒川沿いの小野地区にある伊勢貝遺跡は、縄文時代から平安時代にかけての集落の遺構が発掘される複合遺跡です。このように市域は時代ごとに遺跡や古墳が多くあり、古代から連綿と人々の暮らしが続いていることが分かります。

大神神社の荘園として

現在の市街地エリアに町が形成されたのは7・8世紀ごろからと考えられています。三田地区・三輪地区一帯は7世紀以前から日本最古の神社と言われる大和国一ノ宮である大神神社の荘園となっており、大和国城上郡の松山氏が荘官として管理し、通称「松山の庄」と呼ばれていました。669年に金心寺が建立されると武庫川より南西部に門前町が形成され、金心寺周辺を三田と呼ぶようになりました。この「三田」という地名に関しては、金心寺の弥勒菩薩坐像の胎内から「当地一帯を松山の庄と号す。 これを金心寺三福田により三田と改む」という文字が見つかっており、これに由来すると言われています。この三福田とは、人を敬う心の田という意味の「敬田」、恩を忘れない心の田という意味の「恩田」、困っている人を助ける心の田という意味の「悲田」のことと言われています。北東部の三輪地区はその後も大神神社の荘園だったのですが、14世紀の松山彈正が荘園制度が崩れ武装の必要性が生じ、有馬郡の三輪明神信仰の聖地となっていた丸山に城を築くと同時に三輪神社の社殿を奉納します。これにより三輪地区でも門前町を形成していき、武庫川を挟んで金心寺と三輪神社の門前町が融合する形で有馬郡の中心地へと発展していきます。平安時代から鎌倉時代にかけて市域の各地には多くの荘園が作られ、地頭である豪族が桑原城、貴志城、大原城などの小さな山城を築いて統治していきました。このように三田市には色々な歴史が刻まれているのです。

城下町として

室町時代に播磨国守護だった赤松則村の四男・赤松氏範が有馬郡を領有し三田城を築城します。その後も赤松氏を出自とする摂津有馬氏が領有していたのですが、戦国時代に織田信長の家臣だった荒木村重が摂津国を平定すると丹波国攻略のために三田を城下町として整備します。荒木村重が謀反を起こし織田信長に討たれると、信長の家臣・山崎堅家が近江国から2万3千石で入封したことで三田藩が成立しました。江戸時代には志摩国鳥羽藩から九鬼久隆が3万6千石で入封し、廃藩置県までの約240年間、九鬼氏が三田藩を統治しました。なお、北部の高平地区は多田源氏の所領として多田荘に属し、江戸時代は現在の大阪府豊中市に本拠を置いていた麻田藩の青木氏1万2千石の所領で、1896年に有馬郡に移管されるまで川辺郡に属していました。1871年には廃藩置県により三田県となり、後に兵庫県に編入しました。

近代~現代

  • 1879年・・・三田町に有馬郡2町12ヶ村の郡役所が設置される。
  • 1896年・・・川辺郡から高平村が有馬郡に編入となる。
  • 1899年・・・後の国鉄、現在のJR西日本福知山線に当たる阪鶴鉄道が開通。三田駅、広野駅、相野駅、藍本駅が開業する。
  • 1912年・・・現在の三田学園に当たる旧制三田中学校が開校する。
  • 1915年・・・後の国鉄有馬線に当たる有馬鉄道が開通する。
  • 1927年・・・三輪村が町制を実施し三輪町となる。
  • 1928年・・・現在の神戸電鉄に当たる神戸有馬電気鉄道の三田線が開通。三田駅、横山駅が開業する。
  • 1929年・・・神戸有馬電気鉄道三田線の三田本町駅が開業する。
  • 1943年・・・国鉄有馬線が休止。その後営業再開せず、事実上の廃止となる。
  • 1947年・・・旧有馬郡の3町13ヶ村のうち、有馬町と有野村が神戸市に編入する。
  • 1951年・・・山口村と塩瀬村が西宮市に、八多村・大沢村・道場村が神戸市にそれぞれ編入となる。
  • 1955年・・・長尾村が神戸市に編入する。
  • 1956年・・・残った有馬郡の北半分のうち、三田町・三輪町・広野村・小野村・高平村の五ヶ町村が合併し三田町となる。また、藍村と本庄村も合併し、相野町となる。
  • 1957年・・・相野町が三田町に編入する。
  • 1958年・・・7月1日、市制を実施し、「三田市」が誕生。兵庫県で20番目の市となった。
  • 1965年・・・福祉都市宣言を制定。
  • 1967年・・・三田学園が初の選抜高校野球出場を決める。
  • 1968年・・・北摂ニュータウン・青野ダムの開発計画が発表される。市旗・市花・市木を制定。
  • 1973年・・・北摂ニュータウン起工。
  • 1974年・・・中央公民館落成。
  • 1978年・・・市立の全校園が完全給食化する。
  • 1978年・・・第1回・三田まつり開催。
  • 1981年・・・北摂ニュータウン入居開始。
  • 1982年・・・北摂ニュータウン街開き。翌年には「北摂三田ニュータウン」に改称される。
  • 1986年・・・国鉄福知山線全線が電化。
  • 1987年・・・北摂三田テクノパーク操業開始。
  • 2008年・・・7月1日、三田市制50周年を迎える。

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三田市について

北摂三田ニュータウン:フラワータウン

三田市の観光名所:虚空蔵山と羽束山

三田市ゆかりの人物:九鬼隆一

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